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2001/9/5(水)22:50 - 五目飯 (男)
 管理人さん、みなさんこんばんは。五目飯です。 
 
北斗のおとーちゃんさん。 
以前、「北海道寄り会合」のお誘いをしました。最近この掲示板の 
スクロールが速いので、ひょっとしてお見逃しかと思いまして、もう1度 
書きました。恐れ入りますが、私の書き込み【2045】をお読みください。 
 
【2099】野田さん。 
うはっ! すごいネタを振ってくれたものですね。(笑) 
私は確かに鉄道好きではありますが、旭川から札幌大通りへビールを飲みに 
3回(今年は)も行った、はんかくさい(北海道弁でバカ・アホの意)男ですよ。 
知っているわけがありませんよ。(爆) 
でも、振られたからには何か書かなければなりませんね。 
ここから先は、私の稚拙な記憶を元にした推測です。ほとんどフィクションとして 
お読みください。 
函館-札幌間、小樽経由と室蘭経由。距離が長い室蘭経由の方が先に 
複線化、さらに多用・・・と言う内容でしたね。 
私の見解を述べさせていただきますと、貨物輸送に主眼が置かれたためと思っています。 
 
その根拠ですが、1つには、おっしゃるとおり経費にも、理由があると思います。 
山間部斜面に鉄路を複線化しようとすると、単線を建設したときの3倍強の土砂を 
取り除かなければいけませんし、山側の法面(壁)の高さは2倍にもなります。工事費用を 
考えると、比較的斜面の緩やかな海岸線を整備した方が有利なのはもちろんですね。 
もう1つは北海道の鉄道の歴史に関係していると思います。 
そしてそれは、船舶航路との関係も密接です。北海道の鉄道の始まりは北の端にしては 
おどろくほど早く、新橋-横浜間からわずか7,8年後のことで、 
手宮(小樽)-札幌-幌内(三笠)間です。目的は旅客ではなく、石炭の輸送でした。 
当時の航路は東京-函館間と青森-函館間でしたが、同線開通後に函館-小樽航路が出来ました。 
明治半ばに上野-青森間が開通、ほぼ時を同じくして岩見沢-室蘭間が開通しました。 
その後、函館-室蘭航路が出来ています。明治30年代後半に、函館-小樽間が開通して、 
航路は青函が最有力視された経緯があります。そのころ、北海道はまだ開拓の時代ですので、 
当然旅客輸送ではありませんね。(笑) 輸送能力を考えると、1列車あたりと船舶とでは 
積載量では船舶の方が大きいようですが、速度と本数を加えると、鉄道の方がはるかに 
上回っているようです。となると、北海道-本州間の貨物輸送は高速の鉄道を長く、 
船舶を短くした方が大量輸送には有利です。 
 
そこで本題に戻りますが、札幌-函館間と言うことで考えてみますと、旅客列車では 
SLからディーゼル車への移行があります。しかし、貨物列車の場合、機関車も同じくSLから 
ディーゼルへの移行はありますが、牽引車であることに違いはありませんね。 
総重量からすると、貨物列車にはハンデがあると思います。 
長くなりましたが、このハンデを考慮すると距離的には長いものの、コーナーが少ない、 
起伏が少ない、工事費が比較的安い。おっしゃるように人口密度が高い都市があり、 
工業港湾都市も含まれている・・・。旅客列車にも有利ですね。これらの理由で、 
室蘭経由の方が支持されたのではないかと思います。なんだかまとまりのないお話ですみません。 
あくまでも私の推測の域を出ない作り話に近い話です。真に受けないことをお勧めします。(笑) 
 
【2103】NABEさん。 
30日の件了解しました。最近旭川は朝夕寒い日もありますので、風邪などひかぬよう 
ご注意ください。 
 
【2105】MR.Oさん。 
なんと同年代なのですか。でも−αですね。やはり私が長老のようですね。(笑) 
 
では、失礼いたします。 
 
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